乙月あやめの日々是好日

秋田で日本赤十字献血サポーター企業の代表をしている占い師、乙月あやめのブログです。(本業の)魔女としての話も書きます。

余は如何にして魔女となりし乎 (その1)

タイトルは内村鑑三の著書『余は如何にして基督信徒となりし乎』をパクリスペクトさせて頂きました。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』は内村鑑三が基督教徒としての内面の軌跡をつづった本ですが、私のブログは(当然ですが)そんなに深いものではありませんし長いものでもありません。

私の場合は、正直にいえば「神様、女神様に具体的に助けてほしい!」というのが一番のきっかけでした。と、いうのも私は小さいころから家族のみならず親戚中からいわゆる虐待を受けていて、本当に具体的に救ってくれる絶対的な存在を求めていたのです。そして、実際に救われることも強く求めていました。

でも、祖母が某カルト宗教の熱狂的な信者で、親戚中が私を祖母の家で暮らすようにさせ、宗教的跡取りとして差し出すことで自分たちの身を守る、ということをしていたので、

「宗教=悪」

というイメージがあったので何かの宗教に頼りたいとは思いませんでした。しかし、カルトの神や教祖は「悪」と認識していましたが、同時に

「これは本物の神ではない」

とも感じていました。だから、宗教というものに生理的拒否感を持っていてもどこかで神や女神に救いを求める気持ちがあったのだと思います。

そんな中、生命の危険を感じたことがきっかけで偶然神の啓示(後にして思えば)を受けていました。と、言っててもそんな厳かなものではなく、生命の危険があったときにどうすればよいかを教えてくれる「他の人には聞こえない声」に出会ったのです。かなり小さな時からでしたので、具体的にいつからかはわかりませんがおそらく2~3歳の頃から声自体は聞いていたと思います。祖母に連れられおかしな施設で教祖のわけのわからない話を延々聞かされたり、わけのわからない呪文を唱えさせられたり、と何年もさせられた結果、また生活のほとんどがそうしたものに関わっていた私にとって宗教とは自分を不幸しかしないもの、と感じていました。そこにそうした状況から脱出できる方法を教えてくれた声は、とてもありがたいものに感じたのです。シンプルにいえば、他の人には聞こえない

「この良いことを教えてくれる声に導かれていこう」

というのが素直な気持ちでした。

そしてその後偶然、Witchcraftに出会います。しかし、当時の私はWitchcraftを宗教とは感じていませんでした。考えてみれば神と女神を祀っているのですから立派な宗教なのですが、少なくても私がそれまで目にし耳にしてきたものと同じものとは感じられなかったのです。