前回から年をまたいでしまいました(^^;;
でも気にせず、続きです。
(1)で
「自分の人生を見直した後に、次の人生での課題を自分で決めます」
と書いて、(2)でこれを
「前世をすべて見直して、次の人生での課題を自分で決めます」
と書き直しました。
しかし、です。こう書くとなんでもご都合主義に受け取ってしまう前頭葉が不自由な方々(註1)やそういう人の言う事を真に受けて自己正当化に使うさらに不自由で卑劣な人たちが現れます。
たとえば、心〇とかいう方が子供を叩いてしまう母親に
「あのーですねー。。。
キミの娘さん
叩かれるために生まれてきたのよ」
などという頭が沸いている様なことを言っていたり(そもそもこの書き方からして頭が悪そうですよね)して、これが2年ほど前に炎上していましたが、この〇屋という人が言う前から、スピリチュアル系の人たちの中には同様のトンデモ前世理論で、
「虐待されるために生まれてきた人」
「親に気づきを与えるために障害を持って生まれてきた人」
がいるなど、非人間的(註2)な事を平然と言う人がいますが、
これは間違いです。
こんな理不尽な事を経験したり、理不尽な人生を送ることを前世からの課題として選んでくる、ということはありません。
たとえば、前世で子供を虐待してしまった人が今生の人生で、そのカルマを解消するために「虐待される人生」を選ぶということはなく、虐待児を救う仕事に就くなどといったポジティブな解消法を選ぶようになるからです。それにもし、虐待を受ける人生を選んだとしたらその親は次の人生でまた「虐待児にならねばならない」事になってしまい、延々と虐待がなくならない事になります。これでは
「人間が永遠に進歩しない」
と、言うことになってしまいます。しかし、実際は人間がいくら愚かで遅々とした進歩しかしないとしても、数百年といった単位で見れば着実に進歩しているのは歴史が証明しています。そうした事実からも、前世から持ち越した課題はつきの人生でポジティブに解消する用になっているということが間接的に証明できるのかもしれません。
年を越しながら3回にわたって生まれ変わりについて書いてみました。読みにくいところがあるかもしれませんが、もしわかりにくいところがありましたらぜひ教えてください。
(註1)前頭葉が不自由な方というのは「馬鹿」と言うと差別用語になっていけない、ということなのでこういう言い方をすれば良いのでは?とかつて橘師が閃いたという言い方ですw
もっとも当のご本人は「最近は長々書くのが面倒になった」という理由で「差別用語としての馬鹿」という言い方の方が気に入っているようです。でも、短くなっている気がしないのは私だけでしょうか??
(註2)非人道的とは違います。ようするに発想がTV時代劇「破れ傘刀舟悪人狩り」の主人公叶刀舟に「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」といって切り倒された方が世のため人のため、という人という意味です。
でも、でもですよ。ここではっきり書いておきますが「破れ傘刀舟悪人狩り」を私がリアルタイムで見ていたわけではありません!だってこれ1974年の放送ですから。私がなぜこれを知っているかといえば、かつて橘師にこの番組の動画を数本見せていただいたことがあるからです。